 |
仕事では上司や顧客の反応を伺ったり、、家庭では親戚や世間体を気にしたり、とかく私たちは周囲の目を気にしながら毎日を送っています。
例えば、休み明けの朝(サラリーマンにとっては月曜日の朝)上司の顔を思い浮かべながら、憂鬱な気持ちで仕事に向かう方も多いと思います。あるいは、職場環境は良くても、外に出かけ、顧客のクレームに対応しないといけないとき、顧客に会う前から顧客の顔を思い浮かべながら、どういった切り口で話を始めた方がよいものかなどとシミュレーションをすることと思います。楽しい作業ではありませんね。私たちが生きていく上で、次に起きることを絶えず予測しながら行動していかなければならないのですが、すべてを予測していたら、うつ病にかかるのではないかと思うほど心配事の種は尽きません。
そこで、提案するのは、他人に自分に対する評価の尺度を預けるのではなく、自分自身が自分を評価する「主体性」を持った生き方をすることです。ただし、「主体性」を、「自分勝手」と解釈して、他人の目を気にせず自由奔放に行動すればいいなどと意味を取り違えないでください。「自分勝手」は自分の行動に責任をとろうとしません。うまくいっているときはいいのですが、旗色が悪くなると他人のせいにしたり、途端に相手の顔色をうかがうようになったりします。
|
|
|
「主体性」は、行動の判断基準を他人の目や世間体におくのではなく、自分の中に、しっかりした不文律を持つことです。「相手を怒らせるかもしれない」、「自分はどう見られるだろうか」などと、行動を起こす前からくよくよ考えるのではなく、自分の内なる判断基準に照らして、正しいと思うことを堂々と実行に移せばいいのです。そのことで、上司に悪い印象を与えたとしても、世間体が悪いと親戚になじられたとしても、あなたの心の中に持つ不文律がしっかりしたものであれば、動揺することもなくなるでしょう。
子どもが親に反発し、家庭内暴力など不幸な事件を引き起こすことがありますが、これも「主体性」と関係します。つまり、子どもを叱るとき、子どもと向き合うのではなく、世間体に判断基準をおいているから子どもとのコミュニケーションがうまくとれないのです。
歴史上の人物が、拷問にかけられても主義を変えなかったり、笑って処刑場に向かうことができたのも、「主体性」によるものです。つまり、自分の内なる不文律を高めることによって、不安だけでなく、痛みや恐怖さえはねつけることができるのです。どんなにはた目には苦しい状況にみえても、「主体性」を確立した者は、周囲で起きている出来事を冷静かつ客観的に判断し、逆に自分の行動によって周囲に影響を与え、自ら環境を変えてしまうことができるのです。 まだ、起きてもいないことに絶えず恐怖や不快感を抱くのではなく、今現在を大切にして、自分の信じる道を着実に歩むようにしてください。
話を元に戻しますが、死も恐れぬ「主体性」を取り戻すことができれば、「忙しいだけの無駄な仕事」など、物の数ではないということはわかっていただけたと思います。 |
|
|