|
私たちは長い人生の間に、入学試験、就職試験、資格試験、昇進試験など様々な関門を経験しなければなりません。若い頃は記憶力もあり、丸暗記など無茶な詰め込みも通用したものですが、歳を取るとそう無茶は通らなくなります。途端に記憶力が落ちるからです。そこで、前回もお話しした自分の言葉で意味を考えながらノートを取る方法が、記憶力が落ちた中高年の勉強法にも役に立つというお話をしたいと思います。
「勉強」は、一言で言えば、今まで知らなかった考え方を自分のものとして自在に使えるようになるまで、知識や技を高めることであるといってよいでしょう。
勉強を始める前に、覚えなければならない情報量の多さに圧倒され、くじけそうになることがありませんか。それでも、気を引き締めて立ち向かい、こつこつ勉強して、着実に理解を深めていく方法をとることは生涯学習の趣旨に沿うものであり、人生においてこれ以上意味のある時間の使い道はないといってよいでしょう。 |
|
 |
ところが、現実はそううまくいきません。なぜなら、学生ならともかく社会人は日中の仕事で疲れているので、夜、机に向かっても、疲れや眠さで、思うように意識を集中することができないし、家庭にいても、種々雑多な用事をこなさなければならず、勉強が中断されることがままあるからです。また、面白いテレビ番組や、晩酌あるいは同僚との飲みにケーションなど誘惑もたくさんあります。家族との団らんも必要です。 日々の生活の中で、自分の使える時間はそう多くありません。資格をとるため勉強したいと思いながら、ままならず、いたずらに歳を取っていく自分にあせりを覚えている方もたくさんいらっしゃることと思います。
そこで、短い時間を有効に活用して、しかも衰えた記憶力をカバーする勉強法について考えてみましょう。
歳をとると記憶力が落ちるのは自然の摂理であきらめるしかありません。最近の若い歌手の名前や、カタカナの店の名前など、なかなか覚えられないと嘆いていませんか。若い頃ならともかく、歳を取ると、心から興味がもてないものは、なかなか覚えることができないものです。
でも、悲観してはいけません。勉強する上で、若者より優位に立てる点があるのです。
それは、「意味を理解する力」です。 単語の丸暗記は苦手かもしれませんが、意味を体系的にとらえる力は、いろいろな経験を積んできた中高年の方が有利です。 |
|
|
この世は、すべて「対称」的にとらえることができます。右と左、上と下、過去と未来、男と女、与党と野党、右脳と左脳、演繹と帰納、抽象と具象など、数え上げればきりがありません。「意味」はこれらの組み合わせで成り立つものです。
つまり、ノートに、対立概念を左右に、原因結果を上下に、関連性を並べて書くなど、図で表していくと、「意味」は鮮明になり、「腑に落ちる」という言い方がぴったりな感覚で、意味を理解することができるのです。
物事の意味を平面的にあるいは空間的に把握する力は、これまでの「経験」がものをいいます。どんなに新しい意味であっても、これまで経験した意味と照らし合わせて、それに当てはめることで合点がいくことできるのです。「勉強」という経験により、さらに意味を理解できる力すなわち、ふところの深さのようなものが広がっていくのです。
大人になってもしっかり勉強を続ける者が、そのふところの深さを広げることができ、どんな境遇にも立ち向かうことできるのです。 例えば、自動車会社の代表取締役が、情報機器に関して何ら知識を有していないのに情報関連会社の取締役を兼務することになったとしても、その日から業務ができるのは、いろいろな出来事に対処できるふところの深さをもっているからだと思います。
大人になれば記憶力は落ちても、相手の言っている意味や本で読んだ内容を、そのまま鵜呑みにするのではなく、過去に自分が体験あるいは学習した事例と照らし合わせながら、自分のものとして消化できるまでに頭の中で再編成し、理解しようとする力がついてきます。 いろいろな出来事について、過去の事例や経験と照らし合わせて誰もが正しいと認めざるを得ない一般論を導き出すとともに、これを万人に説明することができる表現力を持ち、さらに他の事例にも応用できる創造力を身につけることができれば、どのような分野の企業に身を置こうとも、必ずいい仕事を残すことができるビジネスの達人になれることは想像に難くないでしょう。
さて、皆さんは、仕事をしていくなかで、あるいは家庭や地域で、いろいろ解決しなければならない問題をたくさん抱えていることと思います。人は、いろいろな場面で、適切な対処法を見つけたり、問題を解決したりしながら、明日を切り開いていかなければなりません。取り巻く問題は、人生を左右する重要なものから取るに足らない些細なものまで多種多様です。これらを一挙に全部解決してしまって晴れ晴れとした気持ちになりたいと思うかもしれませんが、全部解決してしまったら、その後の人生はあまりに刺激がなさすぎて、いっぺんに老化現象が訪れるかもしれません。人間を含めあらゆる動物は多少のストレスがないと生きていけないそうです。
テレビドラマの主人公のことを考えてみてください。ドラマでは現実以上に問題を抱えた主人公が四苦八苦して問題解決に取り組んでいるはずです。ドラマは「葛藤」を意味します。葛藤のないところにドラマはありません。つまり、主人公は現実のあなたに代わって、ドラマの中で次々に問題解決を図っていき、現実の世界であなたが抱えるストレスを多少でも和らいであげようとしてくれているのです。次から次に主人公には災難が降りかかるのですが(現実なら確実に重圧で押しつぶされそうになるほどの負荷が主人公にかかっているはずです)、それらの問題をうまく解決し、クライマックスを迎えます。最後に大きな問題を解決することで、観ている者は大いに溜飲を下げることができるのです。
|
|
 |
ビジネスの世界でも、できる人間は優れた問題解決力を有しています。 私たちが学校で勉強するのも、この問題解決力です。義務教育が終わるまでにたくさんの事項を学ばなければなりませんが、その中には大人になっても役に立たないものが多く含まれます。だからといって、学校での勉強の多くが無駄ということではありません。つまり、学校にいる間、様々な問題を解かされることで、問題解決力を身につけることができるのです。問題を解いている間は、ただ本を読むだけの受動的態度とはずいぶん異なり、能動的に自分の脳を働かせて、解決に導かなければなりません。自分ではできたと思っていても、×がついた答案が返ってくることもあります。どうして自分では正しいと思ったのでしょうか。 それは、子どもたちも、幼いなりに、学習や経験を通して着々と頭の中に知識のネットワークを張り巡らしており、これらのネットワークに照らし合わせ自分は正しいと判断を下しているからです。答えを間違えるとで、現在のネットワークの構成に誤りがあることを悟らせ、その構成の再編正に努めなければなりません。つまり問題を解くことで、考え方を人類共通の普遍性に変えていくことができるのです。
|
|
|