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著者の白取氏は、哲学や宗教の研究を主なテリトリーにされている方だ。
題名は勉学術とあるが、これまで取り上げてきた「勉強術」とは少し趣を異にしている。
白取氏は、「独学」を奨める。
セミナーや研修を通して自分を変えていくのもよいが、独学で自分を変えた方が、人間の深いところで変えることができると主張する。
なぜなら、セミナーや研修はどれも体験を通じて学ぶもので、一過性で終わる可能性の方が高い。
その点、独学は、関連した興味が増え、積み増すように知識が広がっていく。
価値観や行動も進化していく。
体験は個人的なものだ。過ぎ去れば何も残らない。
知識は古代から積み重ねられた人間の宝だ。
この宝の輝きを享受することこそが、人生を楽しむことでもある。
独学は、学習とは異なる。
そもそも、学校で習ってきた「学習」と混同しているから、「独学」も面倒くさいものに思えてくる。
学習とは字がろくに書けない子供が手本の字を真似て書く程度の低レベルの段階にあるものだ。
習字なのに書道などと表現して、人生に意味を失いつつある人のヒマを埋めるお勉強が「学習」である。
独学は、そんな面倒くさいものとは異なる。
初めから決まった参考書があるわけでもない。先生がいるわけでもない。
入門から基礎、中級、上級と順序よく学ぶものでもない。
自分の頭で考え、自分で見解や推論を生み出すことが独学である。
白取氏は、独学の基本的な方法を当書で解説している。
独学の楽しさを知ってほしいというのが本書の目的である。
小さな疑問から始めたつもりが、大河に行き着くこともある。
それを実感したければ、「いつから始まったのか」との疑問から始めるとよい。
「音楽はいつから始まったのか」⇒ピタゴラスに行き着く。
「簿記はいつから始まったのか」⇒14世紀のイタリア商人
複式簿記は修道僧パチオリ
学校から習う羅列された事項の暗記とはちがって、自ら積極的に関わりながら手に入れた知識は、ノートなんか取らなくても一発で頭に入ってしまう。これぞ生きた知識である。
情報は刻々と古くなる。
知識は古くならない。
情報は一過性で不安定。
知識は有効であり応用範囲も広い。
本当に独学の楽しみを知っている人は書斎にこだわらず、街の中でも電車の中でも読書に没頭できる。白取氏の場合は新幹線の駅を乗り越したり、食事の時間を忘れたりすることはしょっちゅうだそうだ。
本を読むときは、頭の中で立体的な図を描きながら理解するように努めよう。
経済の本であろうと、哲学の本であろうと、頭の中に立体を描くように読むと理解が深まる。
古書を読むときは、時代背景や、地理なども十分調べた上で読むようにしたほうがよい。そのことで、書物で述べられていることが一種の体験として感じられるようになる。
テレビニュースがつまらないのは、報道されるニュースの背景や用語がわからないからだ。
人の話を聞くときも同じ。話の内容に含まれる基本の事柄がわかっていないと、とても理解できるものではない。
こういうとき役に立つのが、辞書、事典、地図である。
これを揃えて、わからない単語や地名を面倒くさがらず調べたら、話を立体的に理解できるようになる。
難解な本だからといって逃げない。
どうしてもとっつきにくい感じがしたら、からかうような感じで、とにかくページをペラペラめくって眺めるように見てみる。
意外と古典は難しくない。
哲学書は特に予備知識がなくても理解できるものだ。
むしろ古典の解説書の方が難しく書いているケースが多い。
古典は一冊全部読まなくてよい。
例えば「パンセ」はkougaiも若い頃読んだが、部分読みである。
部分を読んだだけでも考えさせられることがたくさん書いてある。
書いてあることを自分の問題として考えてみることが大切なのだと思う。
外国語を習得しようと思うのなら、まずは日本語を正しく使う練習から始めた方がよい。
日本語は当たり前に使っているつもりで、ほぼ完璧に使いこなせている人は少ないものだ。日本語能力が80%の人が留学してまじめに外国語を習ったとして、最高にうまくいったとしても、せいぜい60%しか習得できない。
仕事帰りの外国語学校程度では、簡単に英語は習得できないと思って間違いない。
マンツーマンで朝から夕方まで毎日学ぶなら別だが、1ヶ月の受領料がゆうに百万かかるので覚悟してほしい。
外国人の恋人を見つけるとよいとする説もある。
でも、その恋人のクセのある外国語の一部が話せるようになるだけだ。
外国語を学ぶなら、言葉のセンスを身につけるのが先だ。
まず、外国語全体を俯瞰する。
具体的には、文法をまとめた本を買ってくる。
わからないところは飛ばし全体に目を通す。
何度も目を通しているうちに外国語の特徴がわかってくるようになる。
そして、辞書は例文の豊富な厚いものを買うようにする。
単語の意味を知るだけの用途しかない薄い辞書は上級者用だ。
辞書を引くのではなく読むためにある。発音記号やアクセントを調べ、いくつも例文を読むことで、単語の使い方を習得していった方がはるかに効果的だ。
外国語はネイティブスピーカーをめざすのもよいが、文章が読めるようになることはもっと重要だ。
外国語理解のベースは常に読む力といってよい。
少しくらい発音よくしゃべれたからといって、内容がなければどうしようもない。 知性のある文章を理解する能力がなければまともな仕事ができないことは、日本語に置き換えて考えれば容易に理解できるだろう。
読む力は、ひたすら読むことでつけるしか他に方法はない。
読んで内容を知りたいという意欲さえあれば、多く読むほどに加速度的に力がついてくる。
読めないうちから、聞く、話す、書くの勉強を始めるより、ある程度読めるようになって始めた方が、ずっと速く身につけることができる。
日常会話を先に学ぶべきという考え方が普及しているが、これは大きな誤解だ。
生きている人間と会話して十分に相手の気持ちをくみ取ることができるようになることは、外国語の新聞や論文を理解するよりはるかに難しいことなのだ。
外国に2,3年住んで小学校3年生程度のブロークン英語を習得することとは次元が異なる。
外国語の勉強はまず、構文を覚えることから始めるとよい。
一つの構文を使って、三十種類の文章を自分で考えて書くようにすると、文の構造をしっかり自分のものにすることができる。文の構造、文の論理に関する知識を増やしていくと、自分の話すことや他人の意見の論理が以前より明確に感じ取れるようになる。
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