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「逆転バカ社長〜天職発見の人生マニュアル〜」
栢野克己 石風社 (2006.4.1刷)
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「七五三現象」はご存じであろうか。
先月末に発表された青少年白書に記された言葉だ。
若者の離職率は、中卒70.4%、高卒49.3%、大卒35.7%の順となっており、中、高、大の順に「七五三現象」として定着しつつある。
学校に行かず仕事も職業訓練もしないニートが06年平均で62万人、フリーターが187万人に上るという。
また、せっかく入社しても、将来の転職や独立起業を考えている新入社員は7割も占めるという調査報告も出ている。
天職を見つけることが難しい時代になったといえよう。
それでも世の中には自他共に天職を発見した人たちがいる。
彼らがどうやって天職にめぐり会えたのかを取材して書かれたのがこの本である。
題名がすごいが、紹介されているのはそれにふさわしい逆転劇を実生活で演じた人ばかりだ。
普通の人よりもお金がなく、学歴もなく、その多くは就職や転職に失敗し、なかには独立後も倒産したり病気になったり、自殺を考えたり、いろいろあって天職に行き着いた様子が筆者の取材により細かに描かれている。
実はこの本を書いた栢野克己(かやのかつみ)氏自身の半生もすさまじい。
大卒後、ヤマハ発動機に就職、有名企業に入れて喜んだが、営業が不得手でノイローゼになり8か月で退社。次にリクルート社の子会社にアルバイト社員で入ったが、正社員試験で落第。3社目はIBMの子会社であるリース会社に勤めたがそこでもノイローゼにかかり退社。30歳になり有名企業志向は捨て、ベンチャーの中小企業に就職。ところが、社内がおかしくなって退社。のちにその会社は倒産。32歳にして独立起業。就職情報会社を興す。理想は高かったが収入がなく半年で資金か枯渇。自宅でテープ起こし兼フリーライター業を開始。月収20万円。その後、実母が連帯保証破れで1億円の借金をかかえたため、今の収入ではだめだと福岡の中小広告代理店に入社。幸い福岡に土地や家の資産があったので、借金は何とかなると思っていたが、不動産の価格はどんどん下がり、なかなか売れない。その間、実母の自殺など私的な事件を山ほど経験した後、資産を投げ売りして何とか借金を返済。
気づいたときは年収が200万から300万。
仕事にも人生に対してもを失い、うつ病になり、新興宗教や研修会をはしごして、心療内科や神経科にも通院。ひまなときは起業成功本や人生本をむさぼり読んだ。
いろいろことがあって、いろいろな人と出会い、自らの苦い経験が動機ともなり、今回の天職発見に関する本の執筆に至る。彼だからこそ書き上げることができた本なのかもしれない。
テクニカル電子株式会社社長 本房周作
昭和26年に鹿児島県に生まれる。
母は生後まもなく病死。
日雇いの父に建設現場で育てられる。
集団就職で豊田鉄工に入社。ある日仲間と会社のバスを無断で拝借して食事に繰り出したことがばれクビになる。
その後故郷鹿児島に帰り車に寝泊まりしながら職を転々とする。
25歳に、電気工事店の下請けとして自動ドアの修理および販売を始める。
町中を歩き、「故障中」と貼られた自動ドアを探し出しては飛び込んで営業。
飲食店に飛び込んで、中から「いらっしゃい」と明るい声。つい「カツ丼お願いします」・・・営業は苦手だった。
自動ドアの取り替えをやっているとき、左右に動く自動ドアを上下に動くようにしたら、駐車場の無断駐車が防げるのではないかと思いつく。駐車場の入り口に鎖をつけ、リモコンで上下させるシステムだ(kougaiのマンションの入り口もそうなっている)
本房にとってアイデアを商品化したことが人生の転機となる。しかし新製品も最初は売れず、依然アルバイト生活は続く。暇を見ては手作りのチラシを駐車場のオーナーに配った。やがて妻が手伝い電話営業で次から次に駐車場オーナーにアポをとり、本房の尻をたたいた。
その後、コインパーキングを開発。同業他社に先駆け領収書やおつりが出る機械も開発。現在売上げは30億円に迫る勢い。株式上場を期待する声も多い。
「必要なのはアクションを起こす勇気。日本は敗者に冷たい。でも一生懸命やればいつか誰かが補ってくれる」
「独立して今のようになるなんて思ってもみなかった。毎日が食うために必死だった。でも転職で多くの業界と仕事を勉強した。自分で自分を発見するためには、何かをやらないとわからない。転職は、自分探しの旅でもあるんですよ」
ランチェスター経営株式会社 竹田陽一
昭和13年福岡県久留米市生まれ。
父は国鉄駅長のエリート。しかし息子の陽一はできが悪かった。
高校の成績は、450人中440位。教師からもバカ呼ばわりされた。
父親の薦めに逆らえず入学金を積めば誰でも入れる地方の大学に入学。
大学の成績も悪く、卒業後は親のコネで地元の建材会社に勤めるが、そろばんは苦手、字もへたくそ。高卒の女子にもかなわず、会社でも劣等感で悩みノイローゼ寸前になる。
ある日、営業で外を回っているとき書店で一冊の本を手にする。アメリカの元保険セールスマンが書いた「私はどうして販売外交に成功したか」を読み感動。
その後、建材会社は辞め、職を転々した後、東京商工リサーチに入社。
ここでも営業に回ったが「私はどうして販売外交に成功したか」を参考に潜在顧客リストをつくって福岡の街を戦略的に回る。当時、興信所で飛び込みセールスをする同僚はいなかったので、竹田氏はどんどん成績を伸ばし、入社5年目に営業売上げで社内日本一になる。
竹田氏はその後、「危ない会社の見分け方」という講演を始めた。最初の頃はあがってしまい、散々だったが、3年で100回の講演をこなすうちに、新聞やNHKの取材を受けるようになる。竹田は講演の仕方を学ぶために、よその講演やセミナーに顔を出すようになった。そこで「ランチェスターの法則」に出会う。
竹田氏に講演の依頼が殺到するようになる。ついに自分が勤める会社社長の給与よりも収入が入るようになり、45歳で独立。独立5年後に年収は5千万円を突破。
「頭は普通でも、狭い分野で2500時間も勉強すれば九州一になれます。
まして、2万時間ぐらいやれば、その分野で日本一になれます。
バカはあれこれ手を出すのではなく、得意な商品・サービスを一点に
しぼって長時間労働すれば、必ず成果が出ます」
竹田陽一
株式会社パナ通信社社長 亀川重行
昭和34年佐賀に生まれる。
大学では授業にほとんど行かず飲食店でアルバイトに明け暮れる。
大学は2年で中退。サラリーマンになり、アパレルのルートセールスにつく。
人の言うことを聞かないタイプで、しかも、対人恐怖症。客先でまともな会話もできず退社。その後、転職を繰り返す。自分は生きている価値もないと精神科に通う。
一人独立なら人間関係で悩まなくていいと飲食店での独立を計画。
資金を稼ぐため県外に出て、機械相手の臨時工として勤める。2年で400万貯め、福岡に帰省。
飲食店開始には800万は必要なことがシミュレーションで判明。400万は元手に「電話レンタル業」を開始。2年間、死ぬような思いで貯めた400万は4か月でなくなった。しかし、当時、電話加入権は6万円も必要だったので電話レンタル業は必ず成功するとの確信が亀川にはあった。亀川は夜はカラオケパブの店長として働き、昼は、電話加入権を買い集め、月々2500円で学生や単身赴任者等を相手に貸し出した。
「人は24時間働けるんですね。我ながらよくやったと思う」
亀川はそう言って当時を振り返る。 ようやく電話レンタルは軌道にのり、カラオケパブも経営権を買い取り、飲食店経営の夢も同時に実現する。その後携帯電話が出現。一台30万円の携帯電話になかなか手が出ないのでこれもレンタル商品で売り出したら当たった。建設現場やイベント会場で引き合いがあり、1995年の阪神大震災で災害救助用として携帯電話が大ブレイク。パナ通信社の経営は軌道に乗る。
「"欠点は宝物である"ということ。強度の緊張症でサラリーマンに何度も挫折。行き場がなくなり、独立するしかなかった」
「仕事とは自分探しの旅。組織が嫌いだった自分が、今気づくと従業員が20名。とても信じられません。仕事が自分を成長させてくれたのですね。限界を自分で決めるのではなく、一生懸命やれば新しい自分が発見できる。今もそう信じて、自分探しをしています」」
亀川重行
FCC・福岡コミュニケーションセンター 赤峰美則(あかみねみのり)
昭和24年、大分県九重町生まれ
実家は酪農経営。アメリカの酪農を学びたいと強く思っていたところ、雑誌で「国費による2年間の米国農業留学制度」を知る。赤峰氏はまったく英語ができなかったが、「もう、これしかない」という思いで中学校の英語の教科書を取り出して必死に勉強。幸運にも留学生として選定される。アメリカの現地語学学校でも英語をひきつづき勉強し、ワシントン州の開拓牧場主の下で2年間過ごした。慣れない英語で農作業もミスの連続。毎日どなられ、文字通り汗と土にまみれた厳しい日々を過ごすが多くのことをこのときに学ぶ。
帰国後、広大な敷地のアメリカや北海道と比べ、実家周辺の土地では思うように経営ができず酪農経営の夢は果たせなかった。
赤峰は何気なく見た新聞広告の求人広告で、英会話教材の外資系販売会社に入社。
固定給ゼロの歩合制セールスだ。当時は訪問販売の花盛りで、百科事典の次に英会話教材が売れていた時代だ。昭和40年代は高度成長期の真っ盛りであった。しかし、赤峰は田舎者でセールストークはまるで下手。三ヶ月は売上げゼロ。朝6時に出社して一人でトークの練習をした。
たまたま農協にセールスに行ったとき、相手が赤峰の農業に詳しいことに驚き、これが噂をよび、赤峰はあちこちからアメリカの先端経営について話してほしいと依頼がきた。農業で成功するにはアメリカに学ぶことが必要というスタイルで、農村マーケットは赤峰の独壇場になる。ついに大分の自宅に事務所を構え、営業マンを50人ほど抱えるまでになる。
しかし、ある日、道を歩いていて依然英語教材を売りつけた人が歩いているのを見て思わず隠れた自分に恥じ、売りっぱなしのスタイルに嫌気がさし、営業所をたたむ決意をする。
その後、英会話スクールを福岡に開設。
しかし、いくら営業マンをやとって生徒を募集しても、生徒は思ったように集まらず経営は厳しく、カードローン14社にサラ金1社まで手を出し借金生活が始まる。営業マンには全員辞めてもらうことになり、今でもそのことを思い出しては申し訳ないことをしたと悔やむ。
ある広告コンサルタントに出会い、文章・コピーを依頼したら、それが大当たり。その後の業績は毎年倍増。現在の年商は1億円に迫る勢いだ。
英会話教室は最近のニュース等にもあるようにクレームや不満の多い業界。
そのなかにあって、中途解約=返金を広告表示しているのは赤峰のスクールのみ。
また、規定期間中にTOEICが200点以上アップしなければ無料で追加レッスンを行うことにもしているそうだ。
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栢野 克己 価格:¥ 1,575(定価:¥ 1,575) おすすめ度: 
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